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土井志ば漬本舗の歴史

創業者、土井清太郎が大切にした、
「大原」と「志ば漬」への思い。

土井志ば漬本舗の創業者である土井清太郎は、いわゆる「よろず何でも屋」でした。さまざまな商品の小売りや木材の商いなどを経て、大正の時代より大原の地に古くから根づいてきた「志ば漬」の製造と販売を始めました。
「志ば漬」は大原の気候や風土、そして大原の地で暮らしてきた里人たちが大切に育んできた伝統食です。12世紀には建礼門院に献上し、そこで「しばづけ」という名を賜ったという伝承があります。土井清太郎はこの素晴らしい「志ば漬」を世に送り出したいという強い思いを抱き、技術面や資金面で相当な苦労に直面しつつも、先見の明や行動力といった持ち前の能力を発揮し、その思いを着実に形として残してきました。
「志ば漬」という名称に「志」という字が用いられていますが、「志を漬ける」という意味が込められています。この名称にも土井清太郎の大原と「志ば漬」への強い思いを感じることができます。
さらに土井清太郎は孫の代まで商いをつづけていけるようにと、伝書を書き記しています。この伝書には自伝的な記録だけでなく、商いとはこうあるべき、人生をこう生きるべき、といったメッセージが記されており、土井志ば漬本舗は今もこの伝書に基づいた商いをつづけています。この伝書は現代を生きる私たちの基軸となり、迷いが生じてもまた原点に立ち返ることができます。
大原の里人が育み、土井清太郎が世に送り出した「志ば漬」。これが、土井志ば漬本舗にとっての歴史の始まりでもあります。

創業者 土井 清太郎

二代目 土井 俊太郎

三代目 土井 清一郎

四代目 土井 孝雄

脈々と受け継がれる伝統と思いが、
それぞれの時代に相応しい「形」に出会う。

創業者である土井清太郎が残した思いを受け継ぎ、二代目・土井俊太郎は販売店の拡大に尽力しました。そして三代目・土井清一郎は自動キャップマシンや真空包装の開発を手がけるなど、代々の経営者はそれぞれの時代に相応しい変化を遂げ、伝統と先進の融合をつづけてきました。
土井清一郎時代に開発した真空パックは、臭いや日持ちの問題を解決したいというニーズから生まれた画期的な技術です。お土産にするにはもっと日持ちするようにしてほしいというお声や、新幹線などで京都からお持ち帰りをいただく際に臭いが気になるというお声におこたえし、袋メーカーさまに協力をいただいて自動キャップマシンによる真空熱処理と真空包装を実現し、これらの問題を解決しました。
先進的な技術との融合は大切ですが、土井清太郎が遺した伝書には「堅実こそ最良なり」という重要なメッセージが記されています。長きにわたって守りつづけられてきた伝統をより良い形でお届けするための先進技術であり、堅実さ、謙虚さを失わないからこそ、代々の経営者が着実な発展を遂げてこられたのだと思います。
土井志ば漬本舗の代々経営者はあまり長寿ではなく、先代と当代が一緒に仕事をした期間は決して長くはありませんでした。それゆえに、土井清太郎の伝書はとても大切な役割を果たしてきました。

独自に開発した自動キャップマシン

大原の本店を始め各直営店、全国の有名百貨店でも、
土井志ば漬本舗の「志ば漬」をお買い求めいただけます。

おかげさまで土井志ば漬本舗の「志ば漬」は、大原の本店を始め京都各地の直営店、さらに全国の有名百貨店でもお買い求めいただけるようになりました。「志ば漬」の楽しみ方を直接お伝えし、お客さまの声にも耳を傾けられるよう、本店や各支店では対面による販売を行っています。
さらに、「志ば漬」の新しい楽しみ方を体感していただける「竈炊き立てごはん𡈽井」を展開しております。より多くの方々にもっとカジュアルに「志ば漬」に親しんでいただければ幸いです。
平成から令和の時代となり、京都にお越しになる方々にも変化が見られます。国内からの入洛が少なくなる一方でインバウンドが増えているのは象徴的ですが、土井志ば漬本舗はそんな時代にふさわしい「志ば漬」の発信のあり方を模索しています。三千院などの観光地にお越しになる方は「大原に来る」ことが目的だと思いますが、「土井志ば漬本舗に来る」ことも目的になるような価値、仕掛けを提案していきたいと考えています。

この大原の地に感謝し、よそには真似できないことをする。
そして大原の発展に寄与するというのは、創業者・土井清太郎が遺した大切な思いです。
土井志ば漬本舗はこれからも「志ば漬」という素晴らしい食文化を発信しつづけてまいります。