特選

自慢の味、土井志ば漬

自慢の味のご紹介 Vo.1土井の志ば漬

---文治元年(1185年)、長月(旧暦九月)の末。大原の山あいにたたずまいする寂光院に、御輿より降り立つ尼僧が、ひとり。墨染めの袖を涙に濡らすは、遠き下関は壇ノ浦に沈んだ安徳天皇が母---

『名前の由来』

そのひとの名は、建礼門院徳子といいます。
「国母(こくも)」の位にまでのぼりつめた高貴な女性で、平家一門を盛り立てた平清盛の娘です。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し、息子の後を追い入水したものの源氏に命を助けられた建礼門院は、出家してわずかな供の者をたずさえ、この大原の地にやってきました。
先の半生を都の"雅(みやび)"の中で過ごし、そして残りの半生を"鄙(ひな)"の中---寂光院のかたわらに結んだ小さな庵---で、一門の菩提を弔いながら過ごしたと伝えられています。
大原は、冬雪深く、寒さの厳しい土地です。流通のメインルートである"鯖街道"は、雪に埋もれると行き来が途絶えてしまいます。
里人たちは夏野菜を良質な紫蘇とともに漬け込み、保存食として冬のためにたくわえました。
この昔ながらの塩漬けを、建礼門院はその鮮やかな赤紫色から「むらさきはづけ(紫葉漬)」と言い、ずいぶんとお喜びになったそうです。
紫といえば、京の都でも限られた人しか身に付けることを許されない---
そう、幼くして亡くした安徳天皇を思い起こさせる色。慣れない、わびしい暮らしのなかで、里人たちの温かい心が身に染みたのでしょう。

【鯖街道】
京都から若狭小浜へは都の文化が、小浜から京都へは魚介類や物資(特に鯖)が運ばれた道のこと。
現在の国道367号線。獲れたての鯖に塩をしておくと、一昼夜をかけて小浜から京へ持ちくる頃にはちょうど よい塩加減になったそうです。

『志ば漬の要ちりめん赤しそ』

もともとは中国の植物である紫蘇ですが、古くに日本にも伝わり現在に至ります。
京都大原のしそは"ちりめん赤しそ"といい、深い赤紫、葉の周辺が縮れたふうに波打つのが特徴です。 青しそと違って食用にすることは少なく、主に梅干など、漬物を漬けるのに使います。
この"ちりめん赤しそ"、日本ではいちばん紫蘇の純粋種に近いと言われています。昔から、山に囲まれた地形のために別の種の花粉が飛来しない、朝霞の湿気が赤しそを育てるのに一役買っている・・・などなど、この大原には好条件が揃っていたのです。
昔にくらべ、鯖街道の行き来は格段に増えました。別の種の紫蘇花粉は、どこからやってくるとも知れません。
良質なちりめん赤しそを守っているのは、風土のみならず、里の人々のたゆまぬ努力にほかならないのです。
土井志ば漬本舗では、三月の苗床づくりにはじまり、中でも選りすぐりの種を採り終えるまで、自社の畑で赤しそを大切に栽培しております。
美味しい志ば漬は、良質な野菜はもちろん、この大原特産のちりめん赤しそがあってこそ。そのこだわりこそが、"本物"の志ば漬を誕生させる秘訣なのです。

『しば漬の作り方』

夏野菜の茄子・胡瓜・茗荷をスライス、塩加減をして紫蘇とともに漬け込み重石をするという、いたって単純なプロセス。
一ヶ月もすれば、自然の乳酸醗酵のためにほどよい酸味に仕上がったしば漬をいただくことができます。

このシンプルな過程だからこそ、家庭ごと・漬ける人ごとに味が変わりますし、それぞれの技が生きてきます。土井は、土井ならではの「志ば漬」を作り続けて、2001年、創業百周年を迎えました。

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